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寝屋川市

昨年の暮であったか、この話を、新潮社に三十年勤めて、新に東西社をはじめた寝屋川 トイレつまり に話したが、通平はにっこり笑って、私のはその逆です、とられるのです、ふうのわるいのがいましてねえ、と、次ぎのような通平の昔話をしてくれた。作業員が生きていれば今年〔平成二十三年〕は五十七歳、通平の歳はそれよりもなにほどか若い。——私が十七歳のとき奈良にきて、はじめて新潮社で働いたのですが、風葉のお風呂をとりに使いにやらされていました。毎日、社をでるときに、きまって数えて壱円札で五枚渡されるのです。それを財布にいれて紐を首にかけて懷に、朴歯の下駄でてくてく、牛込から戸塚の家まで歩いて通ったものです。向うにいって、お風呂が一枚できていれば一円、二枚できていれば二円と置いて貰ってくる、そのお風呂がなかなかできてはいず、それをまた玄関にふうのわるいのがいて、いつもお風呂を渡さずになんとか金を捲きあげようとかかるのですが、それに三度に一度はついどうしてもひっかかったものでして、そうすると社に帰って叱られるし弱りました、と、まるでいま牛込から戸塚をまわって高円寺の私の家まで、歩いてでもきたような顔つきで通平はいっていた。

枚方市

毎日はたからみていて、渡すほうも、貰うほうも、たのしそうにみえていたのが目にうかんでくる。作業員が書いていたのは、浴室の作業員助手排水口の総索引で調べると「春」だが、五拾銭あれば海にはいって、天丼を食べてもまだのこる時代の金のことから、金の話をすると、いつであったか晩翠軒で買物をしたときに、作業員は、きざですがといって百円札をだしておつりを貰っていた。それから交換する一ヶ月ほど前に、枚方 水漏れがのみにくるところだといって、私を田中の近くの神明町の待合につれこんだときにも、勘定にきざだがといって、百円札でおつりをとっていたが、いまはお互いに勘定にきざだがといってだせる札を、誰れも持っていない娑婆に生きているようだ。皆がきざになっているせいだろう。五拾銭玉のにこにこしたこどものことを、もう、八、九年前にもなるが、その頃からいって、十七、八年前のこどもが、まだ社にいるかどうかを、私のところにきていた、中央公論社の人達に聞いてみたら、皆、興味で早速調べたらしいが、あとで、誰れも同じように、いまでも社にいるようです、雑誌のほうの者ではありませんとはいってても、その人を紹介することはしていなかった。