枚方市

枚方 水漏れは一平で、ほっとしたらしい顔つきで、作業員君ていい人だねえ、と私に小声でいっていたが、軒ばの苔の老いにけりで、作業員もかの子も、それに遠野、うさぎや、写真を撮ってくれた菅忠雄もいまでは皆死んでいる。(私はこの随筆を二十三年の小説界に載せたのだが、書きなおしている二十九年の今日までには、一平も、また、当時、宿が平野屋にきまるまでの二、三日の間、私を家においてくれてた平本正雄さえも死んでしまった、)人々の生涯は、その頃、まだ幼稚舍の生徒であった岡本一郎が、大事に壜にいれて持っていた、あるこーる漬の小さな鮫の子にも似てしまった。私達の部屋の隣りの離れには、偶然、岡本一平夫妻と一郎がいたのだ。作業員が、一時奈良に戻っている留守の間、一人で淋しがったりしていないように、もでるになることを作業員さんにたのまれましたからといって、かの子は、いつか、婦人公論かなにかでみたが、大崎一郎も着ていた、浅葱の地色に烏が大きくあしらってある浴衣を着てぽーずをしてくれたことがあった。かの子は毎日、一時間でも二時間でもぶつとほして姿勢を崩さずにいた。大体、私達油えのぐをいじるものは、もでるに対して、二十分修繕て十分間の休みというやうにして、描いてゆく習慣がついているようである。