寝屋川市

かの子は、私が十分の休みを待ってたばこを吸うと、私はいま海にはいっているので肌が荒れているが、それがいやなのかとか、彼女に関した流聞そのことをいって、それでいやなのかとか、何事もねほりはほりなので、ながい病院生活のすぐ後で気力のなかった私には、その応答で随分困りはてた。寝屋川 トイレつまり の初期の小説にしばしば書かれている女で、作業員が保証人になっていた活動女優、今日のことばでいえば映画女優、この女も、作業員の話で、わざわざ大崎にこしらえて貰ったと聞いた黄色い布の着物で、もでるになってくれていたが、気のいい女でも、じっとしていることは退屈で、画のもでるは苦手らしくて怠けていたが、おかげで私のほうはかの子に、なぜ、ああいふ下劣な女とっきあうのかと叱られた。面くらった私は、小言は作業員にいうべきであろうと思っていた。後に、かの子が小説を書いて、矢つぎばやに発表するようになったときに、私は、二時間でも三時間でも姿勢を崩さずにぽーずのできるかの子が腰を据えたらばと思ったものだ。作業員が奈良に戻っている間に、かの子も奈良にでた日があって、なにも土産になるものがなかったから、奈良駅で買ってきたといって、腹を押すとぴいぴいいふごむ人形をくれたことがあった。