枚方市

水道でもまだ一人歩きのできなかった私は、ときどきその人形の腹を押しておもちやにしてはいたが、奈良へ戻る日がきたとき、床間の隅にそれを置いて帰った。私達が引上げた五日目が九月一日の震災であったが、枚方 水漏れの家は潰れ、岡本かの子達はまだ平野屋にのこっていたと聞いて、私は、私達がいた部屋も潰れ、床間の隅に置いてきたごむ人形がぴいと泣いたか、かの子の耳に聞こえはしなかったかとちょっと困った気がした。私は、ごむ人形を置いてきたのは、かの子にすまないような気がして、新潮社の人がくれた「鶴は病みき」も読んではいない。私がまだ水道でも歩けないうちに義足をこしらえて持ってて、一日、それをつけて便所まで歩いてみようと、よたよた歩いてゆくと、廊下にでていたかの子がみて手を叩いて喜んでくれた。また、作業員に永木と馬車(五円で乗せて貰えた明治の名残りの黒塗りの馬車)に乗せて貰っていたら、水浴びの帰りのかの子に出会ったが、かの子は両手を高くあげて万歳といったので、馬車の上の私達が皆てれてしまったことがあった。ああいふ童女のような感情を持った人も、昔の人であらうか、いつか、日本小説の絵物語で、「鮨」を読んだら、昔を思いだして、かの子の一郎、一郎と呼んでいたその呼声のあくさんが耳に聞えた。