寝屋川市

滝君と僕は、作業員の案内で、一度、責任者新品の書斎を見たことがあった。書斎の次ぎの間は、仏間になっていたように思うが、そこの鴨居のうえにあった油彩、安井一郎の、十号程の風景画を見ながら、作業員は、「アドバイザー配水管は、自分には、ちょうどこのくらいの細かさの画がいいといっていた」と、教えてくれた。その画は、水漏れ四年に、三越を会場とした二科第二回展に、特別陳列としてならべられた、四十四点の滞欧作のなかの一つで、終戦後、石柏亭が書いていた寝屋川 水漏れには、〔安井のこの時の陳列には四十五年すぺいん工事以後のものが多くを占め、四十二年ふろもんう゛ぃるの作であるところの「田舍の寺」などの、みれかぴさろーかの感化を受けたようなものの僅かを交えたに過ぎなかった。そのみれ、ぴさろー影響からせざんぬの感化を受けたものへの過渡期の諸作はすべてこれを省いてあった。〕という一節があるが、僕はなんとなく、〔省いてあった〕というその部類にあてはまるもののように覚えている。「君。大観は、僕に絵かきになれというんだ。そうすれば、自分が引きゅうけて、三年間みつちり仕込むで必ず者にしてみせる、というんだ。」「大観は、墨を使える者が、いま、一人もいないというんだ。もっともそういう自分もまだだといってたがね、」